★東京都の人口の増減とその背景等について 【質問と回答】
質問
Q1 東京都の人口は減少しているのか、増加しているのか
Q2 その背景や原因は何か
Q3 今後の東京都の人口の移動を、どう予想しているか
Q1 東京都の人口は減少しているのか、増加しているのか
(1)時間の範囲を変えて、人口の推移をみてみよう
これは、人口の推移を、長いスパンと短いスパンで比べてみると、どう異なっているのか、調べてみようということだ。
まず、国勢調査の始まった1920年から2000年現在までの80年間という長いスパンで、人口の推移をみてみよう(図1)。

実線のグラフが東京都の人口だ。どんなことがわかるかな?1940〜1950年の増減は戦争による疎開や復員・引揚に伴う一時的なものなので、ないものとみなして考えてね。
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1920年から1965年までグラフの傾きが急で、人口の増加が激しかった
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1965年からグラフの傾きがゆるやかになり、人口の増加が鈍化した
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1980年のころからグラフの傾きが横ばいになった
つまり、1980年のころから現在まで、東京都の人口は、大きな増加も減少もしていない、停滞している。この原因については、Q2で考えることにしよう。
1965年に増加がゆるやかになった原因は、点線のグラフである区部の人口が、1965年のころから減少し始めたからだ。いわゆる「人口のドーナツ化現象」だ。
ここで人口のドーナツ化現象の推移をみてみよう(下表)。
都心3区の人口の減少は、1920年には、すでに始まっていた。1996年には24万人まで下がった。
この都心の人口減少は、次第に周辺の区に広がる。区部の人口は、1966年の889万人をピークに減少し始めて、1996年には796万人まで下がった。
都全体の人口の増加も、1966年からゆるやかになった。そして、1975年に1167万人に達した後、1980年には1162万人に減少した。

現在、都心3区の人口も、区部の人口も、都全体の人口も、減少はストップしている。けれど、都心3区の人口は2000年に27万人で、1920年の82万人の3分の1にすぎない。
区部の人口は2000年に813万人で、ピーク時の889万人には戻らなかった。都全体の人口は2000年に1206万人になったけれど、80年間の長いスパンでみれば、停滞といえる。
今度は、グラフの見方をかえてみよう。
1975年から2000年までと、スパンを短くして、かつ、Y軸の目盛りを小さくしてみよう。いわば部分拡大だね。
グラフを変えると、一見して停滞していたようにみえた人口が、近年は増加していることがわかる。これが今、話題になっていて「人口の都心回帰」といわれている。
なぜ話題なのかというと、戦後最大といわれる平成不況のなかで、人口が年々増え続けているからだ。この理由については、Q2で考えよう。

最初の見方を、スパンが長いので、「長期的な見方」と言ったり、また、Y軸の目盛りが大きいので、「マクロ的な見方」と言ったりする。
経済の発展とか、歴史の大きな流れを大まかにつかみとるときに用いる方法だ。Q3で将来の予測をするときも、この見方を用いる。
後の見方を、スパンが短いので、「短期的な見方」と言ったり、また、Y軸の目盛りが小さいので、「ミクロ的な見方」と言ったりする。
景気の変動とか、最近の動向を知りたいとるときに用いる方法だ。
官庁が計画をたてたり、会社がマーケットを調査したりするときは、この方法を用いる。都心回帰により5年間で30万人増えたのは、歴史的にみれば、
トリビアルなできごとだけれど、官庁や会社にとっては、計画を見直さなければならない大事件だからね。
長期と短期、マクロとミクロのどちらがよいか、ということではなくて、両方の視点でみることが大切だ。
社会や経済などの世の中の動きは、「基調的な変動」と「一時的な変動」とから成り立っていて、この両方を調べる必要があるからだ。
ここで一度まとめてみよう。
東京都の人口は、長期的にみれば、高度経済成長期のときから停滞しているが、短期的にみると、近年は増加している。
ところが、これは間違いではないけれど、正解ともいえない。
というのは、1965年のころから東京の人口の増加がゆるやかになったとみるのは、一面的な見方だからだ。実は、このころから東京の都市の拡大が始まったんだ。
区部の人口が減少したのも、この都市の拡大に伴う現象だ。
そこで、地理的な範囲を変えて、人口の推移をみてみよう。
(2)地理的な範囲を変えて、人口の推移をみてみよう
これは、東京の範囲を広げてみると、どう異なっているのか、調べてみようということだ。
東京都の回りには埼玉、千葉、神奈川の3つの県があるのは知ってるね。東京都とこの3つの県を合わせて、「東京圏」と呼ぶのも知ってる?
この東京圏の人口の推移をみてみよう。破線のグラフだ。
東京圏の人口は、1965年の後も右上がりになっていて、増加が続いていることがわかる。つまり、東京都の人口は数の上では停滞したようにみえるけれども、
東京の都市としての成長は激しくなった。
しかし、東京圏の人口も、その後、1975年あたりを境に、やや緩やかになっている。つまり、東京の都市としての成長も、落ち着いたんだ。

少しわかりにくいので、増減人口のグラフをみてみよう。

まず、東京都の増減人口をみると(実線のグラフ)、
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1950年から1980年まで低下を続けた
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その間の1955年から1960年は、一時的に低下がストップした
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1980年からゼロのあたりで増減を繰り返している
これは、最初のグラフ(図1)で観察したことと同じだね。
次に、東京圏の増加人口をみると(破線のグラフ)、
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1955年まで都と圏の差は小さかった
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東京圏の低下は1955年にストップして、1960年から上昇に転じて、1975年まで300万人台の増加が続き、都と圏の差は大きくなった
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1980年には200万人以下に低下し、2000年には100万人以下になり、都と圏の差は再び小さくなっている
つまり、1955年と1975年がターニングポイント(転換期)になっていることがわかる。この1955年から1975年までは、ちょうど「高度経済成長期」にあたっている。
そして、都市の拡大は、「高度経済成長期」の中後期の1965年から1975年の間が、特に激しかった。
ここで一度まとめてみよう。
東京都の人口の増加は、高度経済成長期の間にゆるやかになったが、このころから、行政区域を越えて、東京の都市の範囲が、回りの県へと広がり始めた。
この拡大は、高度経済成長期の間は激しかったが、その後、次第にゆるやかになった。
(2)の問題は、東京の都市の範囲を、行政区域にとらわれないで、実質的に考えようという問題だ。
江戸時代初期における江戸の範囲は、現在の都心3区より一回り小さかった。明治時代初期における東京府の範囲は、現在の区部と同じだった。
そして、太平洋戦争後の高度経済成長期に、東京圏にまで拡大した。
この都市の拡大が進んだというのは、何を意味するのだろう。
経済の面からみれば、経済活動が活発になったということだけれど、人口という面からみると、東京の会社に勤めていたり、
東京の学校で学んだりしていても、東京に住むことができない人が増えたことを意味している。これを「職と住の分離」という。
そこで、昼間人口や他県から通勤通学している人口をみてみよう。
(3)人口の対象を変えて、人口の推移をみてみよう
これは、人口とは居住している人のことをいうけれど、居住している人のほかに、東京都へ通勤や通学している人のことも調べてみようということだ。
「昼間人口」という言葉は知ってる?
念のため、昼間人口と夜間人口の意味を確認しておこう。
「夜間人口」とは、東京都に住んでいる人のことをいい、一般に人口といえば、この夜間人口をいう。
「昼間人口」とは、夜間人口に、通勤や通学のため、他県から東京都へ流入する人を加えて、東京都から他県へ流出する人を差し引いた人口をいう。
いいかえると、「東京で働いている人」、「東京で学んでいる人」、「就業も通学もしていない人(幼児、専業主婦、老人など)」を合わせた人口だ。
平成12年国勢調査(2000年)によれば、東京都の昼間人口は1467万人で、その内訳は次のとおり。なお、[ ]内の単位は万人。
昼間人口[1467](100%)=夜間人口[1202](82%)+流入人口[314](21%)
−流出人口[49](3%)
=昼間就業者[851](58%)+昼間就学者[191](13%)
+残留人口[375](26%)+労働力状態不詳[50](3%)
必ずしも「夜」「昼」の人口という意味ではない。特に、昼間人口の場合、買い物、行楽等のため、一時的に流入や流出する人口を含まないことに注意しよう。
この昼間人口は、経済活動が活発に行われているかどうかを知る指標(めやす)になるし、また、職と住が分離しているかどうかを知る指標(めやす)にもなる。
昼間人口をみてみよう。破線のグラフだ。
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夜間人口と昼間人口の差をみると、1965年のころから差が開き始めて、1975年以後も差は拡大している
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東京圏のグラフと比べると、昼間人口のグラフの傾きは緩やかであるけれど、東京圏のグラフと同じような動きを示している。

昼間人口のグラフの傾きが、東京圏のグラフと比べて、ゆるやかということは、東京圏と東京都の人口の差は大きいけれど、昼間人口と夜間人口の差は小さいということだ。
これは、3県に住んでいる人が全員、都内へ通勤通学しているわけではないし、また、通勤している就業者の家族、
たとえば、子ども、お母さん、お年寄りなども、東京都の昼間人口には含まれないからだ。ちなみに、3県の就業者は1076万人だけれど、
そのうち東京都に通勤している就業者は263万人で、24%を占める。
ここで問題にしたいのは、「1965年のころから差が開き始めて、1975年以後も差は拡大している」ことだ。
このグラフでは、少しわかりにくいので、他の県から通勤通学している人口、すなわち流入人口の増減数をみてみよう(破線のグラフ)。
図4でみた東京圏の増減人口の推移にちょっと似ていることに気がついた?
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1955年から上昇に転じて、1975年まで50万人台の増加が続いた
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1975年から低下し始めて、1990年に一時的に上昇したけれど、再び低下して、2000年には減少に転じた。

図4でみた東京圏の増減人口の推移と同じように、「高度経済成長期」の間に増加が著しかった。
なお、1990年に一時的に上昇したのは「バブル経済」の影響だ。つまり、両者は、同じ増加なのだけれど、原因が異なっている。
「高度経済成長期」の間に増加が著しかったのは、東京の都市の範囲が拡大していることを反映したものだった。
全国から次々と移動してくるので、たちまち都内の住宅が不足して、人口は東京都の外にあふれてしまった。
「バブル経済」の間に増加が著しかったのは、都内の土地や住宅の値上がりのため、都内の住宅を取得することが難しくなったからだ。
結婚や出産などをきっかけにマイホームを購入するけれど、都内の住宅は高いので、安い住宅を買うために、郊外へ移動したんだ。
違いがわかりにくいかな?
どちらも、東京の会社に勤めていたり、東京の学校で学んだりしていても、東京に住むことができない人が増えたという点では同じだからね。
1995年をピークに減少したのは、通勤通学する人口が減少したからだけれど、これは、平成不況や人口の都心回帰などが影響している。Q2で考えてみよう。
ここで一度まとめてみよう。
東京の都市の範囲が、行政区域を越えて、回りの県へと広がった結果、東京の会社に勤めていたり、東京の学校で学んだりしていても、
東京に住むことができずに、回りの県に住む人々が、高度経済成長期のころから増えるようになった。
(4)Q1のまとめ
これまで、(1)、(2)、(3)とさまざまな角度から、人口の推移をみてきた。おさらいしてみよう。
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1920年から1965年のころまで、東京都の人口増加は激しかった。
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1965年のころから、東京都の人口増加はゆるやかになった。これは、人口のドーナツ化現象により、区部の人口が減少したからであり、
同時に、都の行政区域を越えて、都市の拡大(東京の大都市化)が進んだ。
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1980年のころから、東京都の人口は停滞し始めた。
もっとも、人口の停滞し始めた1980年からの推移を、つぶさにみると、近年は、増加に転じており、人口の都心回帰と呼ばれている。
数字を一面的に読んで、世の中の動きや変化を判断してはいけないこと、さまざまな視点からみることが大切なことに気づいてくれた?
しかし、数字をどんな視点からみたら、世の中の動きや変化がみえてくるのか、決まりきった方法はない。
「世の中のしくみを知りたい」という問題意識をもって、すなわち、自分なりに推測して「あたり」をつけながら、世の中のできごとをみることが大事だ。
この関心の深さによって、同じ数字をみても、読み方がずいぶん違ってくる。数字は「誰が見ても同じ」ではない。
Q2 その背景や原因は何か
世の中の動きや変化の背景を探る方法には、「歴史的」にアプローチする方法や、「経済学的」にアプローチする方法などがある。
まず、歴史的に考えてみよう。
(1)歴史的に考えてみよう
これは「都市はどのように形成されて、大都市へ成長したのか」を調べてみようということなんだ。
これは「近代化」のことから、お話ししなければならない。というのは、「都市への人口集中」は近代化に伴う現象だからだ。
こんな話をすると、江戸時代の江戸だって、百万都市といわれて、世界一の都市だったのではないか、と思うかもしれないね。
たしかに、江戸の人口は110万人と推定されていて、1800年のころまで世界一だった。けれど、これ以上の都市に成長することはなかった。
つまり、110万人以上の人口を養うことのできない都市だった。
人口の集中度も低くて、全国の3%にすぎなかった(当時の全国の人口は3200万人と推定されている)。そのうえ、江戸の人口110万人のうち、
50万人が武士で、その大半は参勤交代によって全国の大名やその妻子を強制的に居住させたものだ。また、死亡率が高くて、寿命は農村より低かった。
これでは、少なくとも近代的な都市とはいえないよね。
ちなみに、「1800年のころまで」と書いたわけを説明すると、1800年のころ、ロンドンは86万人、北京は90万人、上海は5万人、パリは54万人、ニューヨークは6万人だった。
しかし、その後、イギリスの近代化が進むと、ロンドンは1850年には240万人に成長し、江戸は世界一ではなくなってしまったから。
それでは話を、近代化に戻そう。
近代化とは、一言でいえば、政治的にも経済的にも自由で平等な社会になることをいう。ここでは、経済面における近代化、
つまり、経済的に自由で平等な社会=「経済活動が自由にできて、貧困のない社会」の形成と発展をみてみよう。
近代化する前の伝統社会は貧しかった。国民のほとんどは農民で、お米を作ることが経済活動であり、お米の生産や田畑が増えることが経済成長だった。
貧しかったのは、産業は農業がほとんどで、自然や気候に左右されやすく、また、工業は手工業で機械化されておらず、自由貿易もなく、経済が未発達だったからだ。
しかも、身分や伝統によって個人が束縛されていて、移動も職業の選択も自由ではなく、個人が努力しても、お金を稼ぐのは難しいし、
交通も発達していないから、都市への人口集中にも限界があった。
これに対して、近代化した社会、近代社会が豊かなのは、産業が農業のほかに、工業、商業、サービス業など多様で、経済が発達しているからだ。
もちろん、個人の自由があり、貿易も移動も職業の選択も自由だし、交通も発達している。
わが国の近代化は、明治時代に、身分制度が廃止されて四民が平等になり、また、移動や職業の選択の自由などの経済活動の自由が認められたことに始まる。
けれども、近代化が始まっても、つまり、個人の自由が認められても、すぐに都市への人口集中が始まるわけではない。都市に会社や工場がたくさん増えて、
経済が大きく発達したとき、都市への人口集中は始まる。
第1次世界大戦(1914〜1918年)の後に「四大工業地帯」が成立し、この「四大工業地帯」が発展して、太平洋戦争(1941〜1945年)の後の
高度経済成長期(1955〜1973年)には「太平洋ベルト地帯」になった。
この「四大工業地帯」や「太平洋ベルト地帯」の中心地は、東京、名古屋、大阪だったから、ここに次々と会社や工場が作られて、経済が大きく発達した。
こうして近代的な都市が生まれ、都市の生活は豊かになった。所得も衣食住の水準も高くなり、寿命も延びた。
しかし、地方(農村)は、江戸時代のころとあまり変わらない農業社会であり、国民のほとんどは農民で、貧困は克服されていない。
都市と地方の格差が大きかったから、豊かさを求めて、全国から都市へ人口移動が活発になった。この背景には、交通の発達もある。
人口集中が進み、大都市に成長すると、都市の中心部はオフィス化するため、人口のドーナツ現象が始まる。と同時に、都市の範囲が行政区域を越えて拡大するようになる。
このことはQ1でみたね。
その後、近代化が全国的に広がって、地方にも会社や工場が作られるようになると、地方都市が成長して、全国が都市化した。
つまり、都市と地方の格差は小さくなり、全国的に貧困が克服される。すると、東京、名古屋、大阪への人口集中は鈍化する。
高度経済成長の最中に、「一億総中流」とか「9割中流」といわれて、わが国の近代化は、ほぼ全国的に達成された。
低所得や失業の問題は、解決されたとはいえないけれど、歴史的にみれば、たとえば江戸時代の農民と比べれば、今の国民の経済的な地位は向上したし、寿命も延びた。
もちろん、プラス面だけではなくて、マイナス面もあった。地価の上昇や住宅難、交通渋滞や通勤難、公害や環境破壊、人口の過疎、農業人口の激減、
食料自給率の低下などだね。
近代化の歴史のお話しは以上でおしまいにして、明治時代からの東京都の人口のグラフをみて、今の話を確認してみよう。

第1次世界大戦が終結した1918年にグラフの傾きが急になって、人口の増加が激しくなり、第1次石油ショックが起こった1973年まで、続いたことがわかる。
地方から東京への人口移動が激しかったからだ。
この間の太平洋戦争のころ、人口の大きな増減があるけれど、これは戦争によるものだから、歴史の大きな流れをみるときには、無視してよい。Q1で話したね。
また、1965年のころから、人口の増加が鈍化するけれど、これは東京の都市の拡大と同時に、人口のドーナツ化が広がったからだ。さっき話したね。
でも見方を変えれば、江戸は110万人以上の人口を養えない都市だけれど、東京は、1200万人の人口の養える都市に成長したということだね。
ここで一度まとめてみよう。
東京の都市としての成長は、日本の近代化の過程で生じた。
第1次世界大戦のころ、会社や工場は都市に集中したため、都市と地方の格差が大きくなり、地方から都市への人口移動が激しくなった。
この結果、東京は、行政区域を越えて、大都市へ成長した。
その後、地方にも経済の発展が広がり、全国的に都市化が進んで、都市と地方の格差が小さくなると、つまり近代化が全国的に達成されたとき、
地方から都市への人口移動も落ち着いた。この結果、東京の大都市としての成長も成熟した。
(2)経済学的に考えてみよう
これは、地方から都市へ人口が移動するしくみを調べてみようということなんだ。
歴史的に考えた結果によると、地方(農村)から都市への人口移動が活発になったのは、都市の生活は豊かだったけれども、全国的にみれば、
大半の国民は農民で、江戸時代のころとあまり変わらない貧しい生活を送っていたからだった。
これを、もう少し具体的にいうと、
地方(農村)から人口を押し出す要因として、
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地方(農村)では、人口が過剰になり、若い労働力が余っていた
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当時の地方(農村)には、会社や工場は少なく、雇用機会が少なかった
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当時の地方(農村)の生活は、所得も衣食住の水準も低かった
この他方で、都市へ人口を引っ張る要因として、
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当時の都市には、会社や工場が次々と作られて、人手不足になり、雇用機会が多かった
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当時の都市の生活は、所得や衣食住の水準が高かった
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交通が全国的に発達して、地方から都市への移動が容易になった
ということに分解できる。
これらの要因をデータで確認してみよう。
まず、全国における若い人口の推移をみてみよう(表1)。
1920年から1960年まで、全国の人口の増加は急激で、しかも、若い人口の割合も高かったことがわかる。

次に、東京の会社数をみてみよう(表2)。
1920年から1963年までの間に、東京都の会社は激増しており、しかも、全国に占める割合も高かったことがわかる。
工場数も同じような推移をたどっている(表3)。


続いて、所得をみてみよう(表4)。
これは、戦後のデータだけだけれども、高度経済成長期の1963年は、東京の所得は全国に比べて1.8倍の差があった。約2倍だ。
「1人あたり」や「県民所得」など、聞きなれない言葉かもしれないけれど、都市の所得は地方より高いということはわかるね。
ちなみに、大都市を抱える府県の所得をみてみると、大阪府は303万円、愛知県は322万円だ(2002年)。
大阪府がちょっと低いのは阪神大震災の影響からいまも回復していないからだ。

鉄道の発達もみてみよう(表5)。
1920年のころには、今の6割ぐらい完成していて、1940年には現在とほぼ同じだった。人口の移動も、全国的に容易になったことがわかる。

最後に、都市化が全国的に広がったこともみてみよう(表6)。
都市の人口集中が進んだ1920年のころ、全国における都市人口は2割未満だったけれど、今は約8割になった。これを「人口の都市化」という。
厳密にいうと、行政区域の「市」は、必ずしも「都市」とは限らないけれども、だいたいの目安になるよね。

ところで、地方から都市への人口移動は、近代的な経済成長の終わった今も続いている。もっとも、その規模は、小さくなったけれども。
人口移動が、今もなお続いているのは、なぜだろうか。いくつか理由を考えてみよう。
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大都市は、人口の規模が大きいから、市場の規模も大きい。つまり、もうけが大きい。
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大都市は、さまざまな種類の産業が発達している。だから、景気の悪いときでも、雇用の機会は、地方に比べれば、多い。
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大企業は、大都市に集中しているから、ここに勤めることができれば、大きな所得を手に入れるころができる。資本金10億円以上の大企業は、
全国6,062社のうち、東京都は2,856社で、47%を占める(2004年)
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大都市にしかない産業があるから。たとえば、アニメのプロダクション(制作会社)は、全国430社のうち、東京都は359社で、84%を占める(2002年)。
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大都市は競争が激しい。新しい工夫もアイデアもない商品やサービスは見向きもされない。だから、よりレベルの高いものが生まれる。このことが経済や産業を発達させる。
これが都市の活力になっている。
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東京で有名になれば、小さなお店でも成功できる。カリスマ美容師、カリスマラーメンを思い出してね。
ここで一度まとめてみよう
さまざまな人や会社がたくさん集まっている都市は、経済が高度に発達していて、その規模も大きい。人々の所得は高く、雇用の機会も多い。
生活水準も高く、いろいろと便利だ。さまざまなチャンスもたくさんある。新しいものが次々と生まれる活力もある。これらを求めて、人々は地方から都市へ移動する。
歴史的、経済学的に学んだことをもとに、Q1でみた人口の推移の背景をおさらいしてみよう。
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1920年から1965年のころまで、東京都の人口増加は激しかった。これは、近代的な経済成長により会社や工場が都市に集中したため、都市が著しく成長して、
都市と地方の格差が大きかったからだ。全国的にみれば、人々はまだ貧しかったから、都市の豊かさを求めて移動した。
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高度経済成長期の1965年のころから、東京都の人口増加はゆるやかになった。これは、都市の成長が一層著しくなり、オフィス開発が激化して、
人口のドーナツ化現象が広がったからであり、同時に、都の行政区域を越えて、都市の拡大(東京の大都市化)が進んだからだ。
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1980年のころから、東京都の人口は停滞し始め、東京の都市の拡大も落ち着き始めた。これは、近代的な経済成長が全国的に進み、また、東京の大都市化も成熟して、
都市と地方の格差が小さくなったからだ。
(3)短期的に、ミクロの視点で考えてみよう
これまで、人口が都市に集中する推移や理由について、長期的に、マクロの視点で考えてみた。そして、長期的に、マクロの視点でみると、東京都の人口は、
1980年のころから、停滞しているということだった。
けれども、短期的に、ミクロの視点でみると、近年、東京都の人口は増えており、「人口の都心回帰」と呼ばれている。このことを、ここでは考えてみよう。
まず、移動には、大まかにいって2種類あることから、お話しよう。
一つめは、地方(農村)から都市への人口移動だ。
これは、主に、就職や進学のためで、簡単にいえば、「新たな仕事や学校を求める移動」だ。
年齢でみると、主に、15〜24歳の移動だ。高校や大学を卒業して、進学や就職したりするときに移動するから。
全国的な視野でみると、人口分布が変わり、都市の過密と地方の過疎の問題が生じる。
今ひとつは、都市の中心部と郊外との間の移動だ。具体的には、東京都と回りの3県との間の移動だ。
これは、主に、結婚出産や住宅取得のためで、簡単にいえば、「マイホームを求める移動」だ。仕事や職場は変わらないことが多い。
年齢でみると、主に、25〜39歳の移動だ。結婚や出産、子どもの入学などをきっかけにマイホームを購入するときに移動するから。
全国的な視野でみると人口分布はほとんど変わらない。都市の内部の移動だからだ。「人口のドーナツ化」や「人口の郊外流出」、そして「人口の都心回帰」も、
この移動に含まれる。
ここで、念のために注意しておくと、これに当てはまらない移動も、もちろんある。しかし、経済や社会など世の中の動きは、多様で複雑だから、
そのすべてを明らかにすることはできない。その必要もない。求められている情報は、「できるだけ多くの情報」ではなく、「大局的な傾向・方向性」だからだ。
細かいことは切り捨てて、突き詰めていって、「本質」、「核心」を取り出すんだ。
では、話を「人口の都心回帰」に戻そう。
東京で働くうえで、最大のデメリットとなるのは、自宅から職場までが遠いし、電車も道路も混雑しているという「通勤難」と、住宅は高いし、
狭いという「住宅難」の2つの都市問題だ。「人口の都心回帰」は、都内のマイホームを求めて、職住近接を実現しようという動きだ。
具体的にいうと、バブル経済が崩壊して、都内の土地や住宅の値段が下がったために、都内のマイホームの取得が比較的容易になり、
他県へ転出してマイホームを取得する必要がなくなったことが大きな原因だ。
統計データで確認してみよう。
短期的に、ミクロの視点でみるということは、「具体的に誰が増えているのか」を調べるということであり、これは、移動者を年齢別に調べるということだ。
年齢がわかれば、「誰が何をきっかけに移動しているのか」、おおよその見当をつけることができるからだ。
けれども、移動者の年齢別データは、あまり充実していない。そこで、次の方法が考えられている。
たとえば、1955年の0〜4歳は66万人だ。5年後の1960年には5〜9歳になる。同じ集団だから、5年後も66万人のはずだけれども、実際には67万人に増えている。
この5年間に、移動(他県からの転入)があったからだ。
実際には死亡もあるし、他県へ転出した場合もあるけれど、話を簡単にするために、5年後に人口が増えていれば、人が移動(転入)してきたとみなして考えるんだ。
この方法で、a.高度経済成長期のころ、b.低成長・安定成長期のころ、c.都心回帰の現在、この3つの時点の人口移動は、どう異なっているのかを調べてみよう。
そして、調べる対象の年齢層を、「15〜24歳」と「25〜39歳」に絞ることにしよう。この理由はなぜなのか、わかるよね。
「15〜24歳」が増えていれば、地方から、就職や進学のための移動が増えたのかな、とおおよその見当をつけることができるからであり、
「25〜39歳」が増えていれば、都内のマイホームの取得が比較的容易になり、郊外(回りの3県)へ転出してマイホームを取得する必要がなくなったのかな、
あるいは、郊外から都内へ住み替えているのかな、とおおよその見当をつけることができるからだね。
a.高度経済成長期のころ
高度経済成長期の初期の1955〜1960年の間に、東京都の総人口は165万人増えた(表7)。
これを年齢別にみると、「15〜24歳」は91万人増えた。「25〜39歳」も11万人増えた。
「15〜24歳」が91万人も増えたのは、会社や工場が増えて、経済活動が活発になり、人手不足だったから。そして、都市と地方の格差が大きかったから。
「25〜39歳」が11万人も増えたのは、まだ、この高度経済成長期の初期のころは、都内のマイホームが取得できたからだ。

しかし、高度経済成長期の中後期になると、都内のマイホームの取得は難しくなり、「25〜39歳」は減少に転じてしまう。
これは、人口が急増したために、住宅が不足したり、住宅の値段が上がったり、公害によって住環境が悪化したことが原因だ。
この結果、都市の中心部の人口が減少する。これを「人口のドーナツ化」というけれど、郊外へ移り住む面からみれば「人口の郊外流出」であり、
また、都市の範囲が拡大する面からみれば「大都市化」だね。
b.低成長・安定成長期のころ
低成長・安定成長期の1975〜1980年の間に、東京都の総人口は6万人減った(表8)。
これを年齢別にみると、「15〜24歳」は42万人増えたが、「25〜39歳」は62万人減った。
「15〜24歳」の増加が42万人と、高度経済成長期のころと比べて、半分になったのは、経済活動が鈍り、会社や工場の人手が余るようになったから。
そして、都市と地方の格差が小さくなったから。
「25〜39歳」が減少したのは、都内のマイホームの取得が難しくなり、都の回りの3県へ転出してマイホームを取得するようになったこともあるけれど、
このほかに、「Uターン現象」といって、地方から上京してきた人たちが再び地方へ戻る動きが活発になったことなども大きな原因だ。
都市と地方の格差が小さくなったからだね。

c.平成不況の現在
今の1995〜2000年の間に、東京都の総人口は29万人増えた(表9)。
これを年齢別にみると、「15〜24歳」は35万人増えたが、「25〜39歳」は11万人減った。
「15〜24歳」の増加が35万人と、1980年のころと比べて、さらに少なくなった。これは、都市と地方の差が小さくなったことのほかに、
少子化により全国的に若い人口が少なくなったことや、平成不況により雇用の機会が減少したことなども原因だ。
増加の規模は小さくなったけれども、それでもなお増加は続いているんだ。
「25〜39歳」の減少が11万人と、1980年のころと比べて、少なくなった。これは、都の土地や住宅の価格が低下して、都内のマイホームの取得が比較的容易になり、
都から転出する必要がなくなったことや、回りの県から通勤している人が都内へ住み替えていることなどが原因だ。
これは「人口の郊外流出」と逆の動きだね。つまり、「都市の拡大」がストップしたんだ。
このほか、「Uターン現象」が鈍化したことも原因のひとつだ。これは、雇用の悪化は、都市よりも地方のほうが激しいからだね。
また、近年、パラサイトシングル、フリーター、ニートなどが話題になっているけれど、卒業しない、結婚しない、就職しない、就職しても結婚しない、
結婚しても出産しない、出産しても一人しか産まないという若者が増えた。つまり、移動するきっかけがなくなった。このことも、人口増加の原因の一つと考えられる。

ここで、表7〜9の右はじの増減人口のところを一覧表にしてみよう。15〜24歳の増加は一貫して小さくなっていること、25〜39歳の減少も、
1975年から1980年のころから小さくなっていることがわかるね。

そこで、「15〜24歳」と「25〜39歳」の増減人口をグラフにしてみよう。
「15〜24歳」の増加が小さくなるにつれて、「25〜39歳」の減少も小さくなっていくことがわかる。
つまり、職を求めて、地方から都市へ移動する人口が少なくなったから、マイホームを求めて郊外へ移動する人口も少なくなり、その結果、
都市の拡大も鈍化していくという関係が読みとれるね。
すなわち、「人口の都心回帰」とは、都市の拡大がストップしたことを示している。1965年に都の人口は鈍化したようにみえたけれど、実は、都市の拡大が進んでいた。
逆に、2000年に都の人口は増加しているようにみえるけれど、実は、都市の縮小が始まったんだ。

もう少し、「人口の都心回帰」の話を続けよう。「25〜39歳」の減少が、近年、急激に小さくなったのは、なぜだろう?
Q1で、「人口の都心回帰」が話題になっているのは、「人口のドーナツ化現象」「人口の郊外流出」がストップしたからというだけでなく、
戦後最大の平成不況のなかで、人口が増え続けているから、と話しことを覚えている?
デフレの下で、人口が増え続けているという点が、問題の鍵だ。デフレで得する人は誰だろうか。デフレは物価を安くするけれど、所得も下げてしまう。
よって、得するのは、既に資産をもっている人だ。
こうした人たちは、ふだんなら、なかなか入手できない高価なもの、たとえば、土地や住宅、車や高級ブランド商品を買うことができる。
人口が増えたということは、都内の居住者が増えたということだから、住宅事情の変化が影響していることは間違いない。
あとは、都心部において、住宅(マンション)や土地の値段が下がっていることや、住宅(マンション)の新築が活発化していることを調べればよい。
では、なぜ都心部でマンションの開発が活発化しているのだろうか。それは、バブルが崩壊して、企業は経営が苦しくなったり、倒産したりして、
所有していた不動産を売りに出した。これを「資産のリストラ」という。この跡地に、マンションが次々と建っている。
こうして、職場に近くて、交通の便もよいマンションが、安く手に入るようになったから、それも次々と供給され続けているから、人口も年々増え続けているんだ。
こうして都心の人口は回復した。でも、これは都心の職場が減っているということだ。つまり、会社の経営が苦しくなったり、倒産したりして、失業者が増えている。
世の中のできごとには、すべて二面性、プラスとマイナスの両面がある。
ここで一度まとめてみよう
短期的に、ミクロの視点で人口の推移をみたいときは、年齢別に増減人口を調べてみよう。15〜24歳が増えていれば、地方(農村)から、主に就職や進学のため、
新たな仕事や職場を求める移動が増えているのではないだろうか、とおおよその見当をつけることができる。また、25〜39歳が増えていれば、
都内のマイホームの取得が容易になったため、回りの3県に転出する必要がなくなった、または、都内へ住み替えているのではないだろうか、
とおおよその見当をつけることができる。
こうして調べてみると、1980年のころから東京都の人口が停滞しているなかにあって、近年、人口が増加し続けているのは、15〜24歳の増加が小さくなる一方で、
25〜39歳の減少が急激に小さくなったからであることがわかる。
これは、資産のリストラによって、都心に近いマンションの開発が激しいためであり、この結果、都内のマイホームの取得が容易になったため、
回りの3県に転出する必要がなくなり、また、都内へ住み替えていると考えられる。
この「人口の都心回帰」は、人口の郊外流出、すなわち都市の拡大がストップしたことを示している。
このほか、「Uターン現象」が鈍化したことや、卒業しない、結婚しない、就職しない、出産しないという若者が増えたことも、人口増加の原因のひとつと考えられる。
Q3 今後の東京都の人口移動を、どう予想しているか
人口移動の種類別に考えよう。
Q2でみたように、人口移動は、大まかにいって「就職や進学のための移動」と「マイホーム取得のための移動」の2種類がある。
この2つは国内移動だけれど、このほかに国際移動といって、「外国人の移動」がある。
この3つの移動を、ひとつずつ検討してみよう。
(1)「就職や進学のための移動」
Q1でみたように、この人口移動が活発な社会というのは、近代化によって経済や産業が成長段階にある社会であり、都市と地方の格差が大きい社会のことだ。
近代的な経済成長が終わり、今では、都市と地方の所得の格差は小さくなったけれど、東京の市場の規模は日本一だし、官庁や大企業、アニメなど、
東京にしかない会社や産業があり、また、東京には新しいものを生み出す活力があって、それが、まだまだ人々をひきつけている。
けれど、少子化が全国的に進んでいるから、この移動が縮小することは避けられない。
(2)「マイホーム取得のための移動」
これまでは、都内のマイホームの取得は困難だったから、この人口移動は、大きなマイナスを示していた。近年は、このマイナスが小さくなった。
これは、平成不況のために、従来より安いマンションの供給が活発化していることが大きな原因だ。
だから、土地や住宅の価格の低下がストップしたり、マンション開発ブームが一段落すれば、この移動も縮小してしまう。
この(1)と(2)をグラフで確認してみよう。
予測をするときは、過去の傾向(トレンド)を延長して考える。グラフの凹凸をならして、将来の方向性をみてみよう。
これは、長期的、マクロの視点で考えるということだね。
(1)の移動は、実線をみるのだけれど、転入も転出も低下傾向にある。このことから、(1)の移動は縮小傾向にあることがわかる。
なお、短期的にみると、転入は、1994年のころから、低下がストップして、横ばい状態、わずかに上昇傾向を示している。にもかかわらず、転出は低下傾向のままだ。
この変化が「人口の都心回帰」の原因の一つになっている。
(2)の移動は、破線をみるのだけれど、転入は横ばい状態、転出は低下傾向にある。このことから、(2)の移動もまた縮小傾向にあることがわかる。
なお、短期的にみると、転入は、1990年のころから、わずかに上昇傾向を示している。にもかかわらず、転出は低下傾向のままだ。この変化が「人口の都心回帰」の
原因の一つになっている。


この予測の方法は、過去の延長上に将来を考えるものであり、将来においても、過去の構造が変化しないという前提に立っている。
だから、構造変化が起これば、予測は外れる。
近年は、平成不況のなかにあって、社会や経済の構造が激しく変化しているから、この予測も外れる可能性が大きい。
たとえば、「人口の都心回帰」を予測した人は1人もいなかった。
そのため、構造変化を予想して、どんな事態が起きても対応できるように、複数のシナリオを容易するという発想が、特に近年のような先行き不透明な時代には、
強く求められている。
ところで、官公庁の予測は、高めで楽観的な数値であることが多い。これは、現実に即した理論的な予測値ではなくて、政策目標値だからだ。
いわば、この数字になるよう、努力しますという意思の表明みたいなものだ。官公庁には、国民(住民)の生活をよくしたり、景気をよくしたりする責任があるからだ。
(3) 「外国人の移動」
外国人の増減をみると、1985年のころから増加が目立つようになった。しかも増減の変化が極端だ。増加の規模も小さい。
いずれにせよ、増加傾向(右肩上がり)ではない。
グラフをみてみよう。

そのうえ、わが国は「外国人労働者の受け入れ」に消極的だ。東京都の外国人は35万人だけれど、そのうち「就労」を目的とする在留資格を有するのは15%に過ぎない。
外国人のほとんどは、「永住者」「日本人の配偶者等」「定住者」などの居住のためで57%と大半を占める。
仮に、積極的に受け入れる政策に転じても、外国人は増えないだろうと考えられる。第1に、言語の問題があり、英語は世界共通語だけれど、日本語は世界共通語とはいえない。
第2に、わが国には、世界をリードする産業が、車、アニメ、漫画のほかには少ない。第3に、わが国は、国際競争力が低く、また、国際的地位も揺らいでいる。
まとめてみよう
人口移動は、長期的にみれば、縮小傾向にあり、将来的には、人口減少社会に突入することは避けられない。
※ 外国人の移動について、もっと知りたいのなら…
わが国の外国人受入れ政策は、「出入国管理及び難民認定法」と「外国人登録法」という2つの法律に反映されており、これらの法律が、
日本に住むことができる外国人の資格を決めている。
後で述べるが、わが国は外国人の受け入れに積極的ではなく、在留資格の範囲は広くない。この在留資格の範囲内での増加だ。
1980年のころから、外国人が増え始めた理由は、大きく2つある。
a.「出入国管理及び難民認定法」の制定や改正による影響だ。
1982年に「出入国管理及び難民認定法」が制定されて、「特例永住制度」(現在は「特別永住制度」)が新設された。これは、長期にわたり日本に居住するか、
日本で生まれ育った在日韓国・朝鮮人に適用された。
なお、ここで朝鮮とは、現在の北朝鮮のことではなく、韓国が成立する前(南北に分裂する前)の朝鮮のことだ。
1990年にも、「出入国管理及び難民認定法」が改正され、日系人の日本入国と就労が緩和された。この結果、特にブラジルやペルーなどが増加した。
このように法律が改正された直後だけ、激増している。
b.日本が世界最大の純債権国となった影響だ。
人口が移動する最大の理由の一つは、「富」だ。簡単にいえば、お金を稼げるところに人は集まる。外国人の移動があるのは、全世界でみれば、貧富の差が大きく、
貧困が克服されていないからだ。
1985年には、対米貿易黒字が395億ドルとなり、日本は、世界最大の純債権国になった。
要するに、世界で最大のお金持ちの国になった。これをきっかけに、外国の会社が日本にたくさん設立され、外国人の移動も増えた。
しかし、バブルが崩壊して、不景気になった今は、移動してくる人数は少なくなった。
ここで、在留資格の話をしよう。
外国人には2種類あって、「居住者としての外国人」と「労働者としての外国人」がいる。
わが国の外国人登録人口197万人(2004年)を、在留資格別にみてみよう。
最も多いのは、「永住者」で39%、続いて、「日本人の配偶者等」が13%、「定住者」も13%。この合計は65%だ。これに対して、「就労」は10%にすぎない。
「労働者」ではなくて、「居住者」としての外国人がほとんどだ。
さっきみた東京の場合と比べると、東京は「居住」の割合が少し低く、「就労」の割合が少し高くなっている。
「労働者としての外国人」が少ないのは、わが国の外国人受入れ政策が、「専門的・技術的」分野の就労には積極的だけど、「単純労働者」は受け入れていないから。
なお、「専門的・技術的」分野の就労とは、興行、人文知識・国際業務、技術などで、具体的には、歌手、ダンサー、プロスポーツ、外資系企業の経営者、語学教師、通訳などだ。
でも、現実には、外国人の「単純労働者」がいるけど?と思うかもしれない。それは、「永住者」「日本人の配偶者等」「定住者」。
この3つの資格を持つ外国人は基本的に自由に就労できる。このほか、「留学」等の場合、学費や生活費を捻出するためのアルバイトなら就労することができる。
回答者 東京都総務局統計部調整課統計解析担当係長 鈴木誠 直通03-5388-2522
おことわり
以上の考えは、個人的見解であり、東京都の考えを代表するものではありません。